ようこ通信
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○○○○さん おはようございます
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新紙幣発行から2日目
5000円札の津田梅子さんですよ
梅子の人生は、父の仙によって大きく舵をきられます。
6才のときに「岩倉使節団」の一員として親元を離れ渡米。
以後11年間、アメリカの家庭で育ったのです。
6才といえば現代なら小学校1年生です。
ピカピカのランドセルを背負っている1年生を 一人で海外に
留学させることはちょっと想像ができないでしょう。
梅子がアメリカに渡ったのは1871年(明治4年)
1871年といえば郵便制度が開始された年です。
ようやく国内での手紙のやりとりが便利になったという時代に
6歳の幼児が親と別れてアメリカに行く心細さは計り知れません。
岩倉使節団の目的は、政府首脳による不平等条約の改正交渉
官僚や留学生よる欧米諸国の制度や技術の調査にありました。
伊藤博文や木戸孝允、大久保利通といった政府の首脳も同行しています。
梅子は「開拓使派遣留学生」の一員として10年間ものアメリカ滞在を計画していました。他の男子学生が2年で帰国しているなか、女子学生だけ10年も滞在した背景には
北海道の開拓を行っていた黒田清隆(後の内閣総理大臣)による尽力が
あったからだと言われています。
黒田も1867年に梅子の父、仙とともに渡米し、アメリカの女性の教育レベルや
地位の高さに驚いたのだそう。
帰国した黒田が女子教育の重要性を政府に説き、女子留学生の派遣が
政府によって許可されたというわけです。
女子留学生の留学費用は、政府ではなく黒田の北海道開拓使から支払われています。
ブリンマー大学在学中、梅子は「日本婦人米国奨学金制度」を設立しました。
自分のように学びたい女性の助けになればと考えたのです。
資金集めのための公園や募金活動を行い、2度目の留学から帰国したのは1892年(明治25年)のこと。
ふたたび華族女学校に勤め、明治女学院でも教壇に立ちます。
その後も二回、アメリカやイギリスに留学して、「女性の地位向上のためには
専門的な知識、学問が必要不可欠だ」との強い思いを強くします。
そして1900年(明治33年)、「女子英学塾」を創設。これまでのお行儀作法の
延長のような学校ではなく、少人数方式のレベルが高い教育を目指した学校です。
現在の津田塾大学の基礎を築きました。
昨日は日本各地で、新紙幣の交換に長蛇の列が出来り盛り上がりを見せましたね
まだまだ、新紙幣関連の恩恵は有りそうですよ!
素敵な一日を
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