否定文を作る際には動詞を ne と pas で挟むことは皆さん知っていらっしゃると思いますが、
実際の会話では ne を言わずに pas だけを言うことが多いです。
例えば
Je ne sais pas → Je sais pas.
Il ne veut pas venir → Il veut pas venir
など。
統計によると、ネイティブの会話では60~80%の割合で ne が省略されるそうです。
ただし正式な場面(ニュース、演説、書き言葉)では「ne」は省略しないのが原則です。
実はフランス語ではもともと、 否定文の際に "pas" は使われていませんでした。
【12世紀頃まで】
このころフランス語で否定を表すには、ラテン語の文のように"ne" だけで十分でした。
例えば:
Je ne vois. 「見えない」
Je ne sais.「知らない」
のように、"ne" だけが否定の印だったのです。
【12世紀~13世紀頃】
この頃になると、否定の意味を強調するために、"pas", "point", "mie", "goutte", "rien", などの言葉がつけ加えられるようになります。これらの単語は、もともと「少量や取るに足らない要素」を表す普通名詞でしたが、否定を強めるために「ne」に加えられるようになったのです。
(確かに ne は音的に弱いですから、聞き取りにくいですよね)
例えば "pas" はもともと「歩、歩み、一歩」という意味なので「一歩も歩かない」という意味で
● Je ne marche pas. (= Je ne marche même pas d’un pas. 一歩たりとも歩かない )
と使っていたそうです。
同じように "point" はガロ・ローマ時代の古い言葉で、「土地の一区画」を指していました。
● Je ne bouge point. ( = Je ne bouge même pas d’un point. 一区画すら動かない)
"mie" は "miette (パンなどのくず)" から来ており、
● Il ne mange mie. (= Il ne mange même pas d’une miette. 彼はひとくずすら食べない)
"goutte" は 「しずく、一滴」という意味ですから、
● Il ne boit goutte. ( = Il ne boit même pas d’une goutte. 彼は一滴すら飲まない)
このように否定の印は、動詞に関連している言葉だったのです。
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ところが最初は意味をもっていた "pas" "goutte" "mie" などが、時と共にごちゃまぜに使われるように なっていきます。
● Je ne vois goutte.
● Je ne marche mie.
● Je n’avance point.
● Je ne mange pas.
もはや動詞とまったく関連していないですね...。
【14世紀~16世紀頃】
そして最終的に否定の印として、"pas" が残ります。これと同じく "p" という破裂音を含む "point" も候補として残りましたが、一部の地方でのみ使われるにとどまりました(文学には今でも ne...point が使われることがありますが)。
● Je ne marche pas.
● Je n’avance pas.
● Je ne mange pas.
こうして現在の否定の "ne....pas " の形になりました。
その他の否定の形で現在までの生き残っているものには "goutte" がありますが、
Je n’y vois goutte. 「全然見えない」
という表現でのみ使われます (Je n’y bois goutte. ではないのですね~)。
さて、このようにして "pas" が否定の印として残ったわけですが、最初に言ったように、
現代では、今度は "ne" が会話から消滅しつつあります。
このように否定の形が時間とともに変化し進化していく言語現象を、デンマークの言語学者
オットー・イェスペルセンにちなんで "Jespersen’s Cycle" と言うのだそうです。