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『ピースボート』

「道」があったゆえに、「書、華、茶、柔」となにをやるのかを決めればいいのです。

2020年07月14日

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「なにをやるのか」ではなく、

「なぜそれをやるのか」のこたえを出すのは、


その「なぜ?」の部分は僕なりに伝えると「道」だと思います。



書道、華道、茶道、柔道と全て「道」がついていますよね。



「道」がなくてもいいと思います。



なぜわざわざ道をつけるのでしょうか?



ただやり方を教えたらいいのではないでしょうか?



「字がうまくなって、人からよく思われて、
たとえば、出世の1つの道具に使えればいいんじゃないですか?」



「字がへたで笑われないようにすればいいだけなんじゃないですか?」




そういうところが目にみえるものです。




書道を70年やった人はこう言ったりしますよ。

「字にうまい、ヘタなんてないのよ」と。


字を通して、書道を70年もやれば、

字をみるだけで、「その人がみえる、その人の人生がみえる」

ということがあるのです。



「あなたにはこういう良さがあるのね」

「あなたはこういうところにコンプレックスがあるのね。

 悩まなくていいのよ」


と、「なんであなたそんなにわかるんですか?」

と非常に的確にあてていったりするのです。


占い師もびっくりです。


それはあてるやあたらないという浅いものではなくて、

「書を通じて、人の人生を豊かにする、その人が幸せになる」

ということをやったりするのです。



道とは「生き方」ではないでしょうか?



「自分らしく生きたい」「自由に生きたい」と思ったとします。


多くは思うでしょう。


でもどう生きるのでしょうか?



「生きたい」と言っても「道」がなければ、どう歩むのでしょうか?


「幸せに生きたい」

でもそれをどう生きるのでしょうか?


「道もないのに歩めるのでしょうか?」




「私は自分の道を行く」と決めるのもいいでしょう。


でもその「道」はどんな道なのでしょうか?


ただのわがまま、自分勝手なふるまいになってしまうかもしれません。




「道」とは決して教えられるものではありません。

「こういう道を行けばいい」というものではありません。

「私の道はこうだよ」と伝えてあげることはできるかもしれません。

でもそれと他の人がその道が辿るのは違います。


それは「ただ他人のレール(道)を歩いている」というだけであったりします。


道とは「こうやればいい」というものではありません。


常識という道でもありません。



老子の「道徳仁義礼」が参考になるのでお伝えしますね。



「道」が失われて「徳」(善や正義にしたがう人格的能力)があり、
「徳」が失われて「仁」(おもいやり)があり、
「仁」が失われて「義」があり、「義」が失われて「礼」がある。


(老子の影響が強く見られる兵法書の三略にも「道徳仁義礼の五者は一体なり」
と書かれていたりします。)


徳が充分に備わっている人間は、徳そのものを意識する事がないので徳が離れる事は無い。


徳の少ない人間は、徳を失うまいとするあまりに徳が離れていってしまう。


徳が充分に備わった人間は無為を保ってことさらに何かをしようとはしない。


「徳の少ない人間は立派な人間になりたくて善い事をしようとする。」


例えば仁を重んじる人間は、「何か善い事をしようとする。」

義を重んじる人間は、「善い事をしながら自分も褒めてもらおうとする。」

礼を重んじる人間は、「自分がしている善い事を他人にも無理やりやらせようとする。」




つまり最初に「道」があって、

その後に人としての徳があり、徳が失われて仁があり、

仁が失われて義があり、義を失った人間が辿りつくのが礼なのだ。 



そう老子は言われています。



とくに礼などというものは、

人々から真心や信義が失われた後に作られたものであって、

これこそが社会を乱すもとと言われています。



仁や義や礼といったものを知識という形で教え込もうとすれば、

「道」からはずれた愚か者を生み出すだけだと。



だから本当に立派な人間というのは、手厚い真心を大事にして薄情な知識を捨てる。

物事の実を大事にして見栄えのよい花を選んだりはしない。

聞こえが良いだけの仁義礼といったものを捨てて「道」を選ぶ。



「直(なお)き心で行う (行=彳)+(直+心=悳)=徳」



つまりありのままの素直な心に従う事が「徳」という字の本来の意味である。



また「トク」という発音(漢音・呉音)は「得」という字に通じており、
転じて「身についた性質」という意味で使われるようになった。


この章で言われる「上徳」は前者の意味であり、「下徳」が後者の意味。



ちなみに戦前の道徳教育(当時は修身と呼んだ)もあって現在では
儒学的な印象の強い「道徳」という言葉も、
もともとはこの老子道徳経の名前の由来である上篇の始めの文字の「道」と
下篇の始めの文字の「徳」の字を併せて作られた言葉だと言われています。


成立年代のはっきりした中国の書物で「道徳」という言葉が使われるのは
史記の老子韓非列伝に「老子は道徳を脩めた」と書かれているのが最初であると言われています。






「道」をみつけられた人は、とても幸せな人である。



僕はそう思います。




道を歩き、そして道を極めていく。


もちろん終わりはありません。


なので道半ばではてることになります。


なので「どうせなら前のめりになって死にたい」


僕はそう考えています。


背中の傷は剣士には恥ですから。(剣士ではありませんが)




「道」を見失うから、自分を見失うということがあります。


自分と人が呼んでいるものは自分じゃないですから。


爬虫類の脳に毛が生えたものを自分と呼んでいるだけです。


「道」=自分といってもいいでしょう。


道が自分なのです。


「個人」と呼ばれるものが自分と呼んでいるものであり、


道とは、自己でしょう。


自己とは、「他者を含んだ自分」です。


個人とは、「他者を一切含んでいない自分」ですね。



なので、個人紹介や個人アピールとは言わないですよね。


多分それは聞くに耐えないものです。

だって他者を一切含んでいないからです。


なので、自己紹介や自己アピールというのだと思います。


個人のことなら「勝手にやってくれ」とみんな思うと思います。





「自分の道を歩む」


それは決してかんたんなことではないでしょう。


でも道があれば楽です。


道とは、「なぜそれをやるのか」の中にあります。



そのこたえを出すアクセスは「自身の成長」の中にしかありません。


だから「今の自分」では出せないこたえの状況もあります。


なので、なにかを通じて自分を成長をさせていく、
その中に「なぜそれをやるのか」という問いの中でい続けることがとても重要です。




考えるなといいたいわけではなくて、


考える「だけ」が意味不明というだけで、


なぜなら「成長」がないと考えても出てこないですから。


「成長」×「考える」=出るこたえなのです。


こたえの出方は「みえる」と言った方が適切でしょう。


「自分の道がみえる」




ちなみにこの状態がきっと「天職」と呼ばれるゾーンかもしれません。


天職とは、呼ばれる声、コーリングです。


まだ「道」はみえていないかもしれません。


そこは「直感」の領域かもしれません。


「感じる」のです。


そして、動いてしまうのです。


感じるだけで、みえてはない。


それは当然でしょう。


「だって、体験、経験がないですもの」


「成長も足りないかもしれません」



天職の領域が、「自己実現」ですね。


そこは間違いなく「観えていますね」


自分の道が。「ここは直観でしょう」


「感じる」と「観える」との違いです。





ちなみに仕事には5段階があります。


1.Labor(労働・作業)

2.Work(主体性が感じられる。それなりに楽しいけれどモンモンする。)

3.Calling(天職。天職=コーリング=呼ばれる声)

4.Self-actualization(自己実現、なりたかった自分に向かっていっている。)

5.Self-transcendence(自分を超えたものに従事している状態)


の5つです。



「なにをやるのか」ではなく、

「なぜそれをやるのか」のこたえを出すのは、

その「なぜ?」の部分は僕なりに伝えると「道」だと思います。




僕は「なにをやるのか」の延長線上で話はしたくありません。

興味があるなら、その道(それを道と呼んでいいかは分かりません)は
たくさんの人がアドバイスくれるから、それは他の人を頼ってください。


そもそもその道は「失敗確定」と思っていますし、確信していますから。


あくまで「なぜそれをやるのか」の道を歩む為の通過的に過ぎないと思っています。


「なにをやるのか」に、幸せはないからです。


喜びはあります。満足はあります。


「人から成功者ですね」と言われることもあります。



でもそこに「幸福」はないのです。


幸福とは「なぜそれをやるのか」の中にあるからです。



そこが道であり、その道が「生きがい」や「やりがい」等とつながっているからです。


「生きがい」や「やりがい」とは、魂の喜びです。自己の自分の喜びです。



「なにをやるのか」に、幸せはないといっているのは、

「心は楽しい、面白い」といっているかもしれませんよ。



でもね、心で生きていると

「誰からも忘れさられる存在になること確定です」



魂で生きているとの違いは、

「明確に自分が「死んだ時に違います」」




「自分が死ぬ時は人に忘れさられた時だ」

と誰かが言いました。



ちなみに忘れさられず残るものを「徳」と呼びます。


それは「子供、孫、子孫を幸せへと運ぶもの」です。


たとえばですが、たくさん成功しました。財産残しました。

「子供が財産めぐって殺し合い」

どうですか?幸せですか?




「あなたの道を歩んでもらいたい」


そこに”全て”が詰まっています。


もう1度言います。

”全て”です。



書道、華道、茶道、柔道ではなく、

ただの「書、華、茶、柔」という道もあります。


「なにをやるのか」はそういうものです。


「なぜそれをやるのか」は、道の方です。



僕は道の方を選んでいただきたい。



「道」があったゆえに、「書、華、茶、柔」となにをやるのかを決めればいいのです。




そちらの道にしか「平和」はありません。


道とは、人とつながっていくものですから。



「あなたの道を歩んでください」


「なぜそれをやるのか」にアクセスがあります。


自分とつながる道となります。








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┃\/┃ 「誰かにとっての希望の光になろう!」
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