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『ピースボート』

「僕は裸の王様の自分をなんとかする為に生きる!」

2020年09月07日

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 「夢にときめこう! 明日にきらめこう!」


「人生って楽しい」と思える毎日を過ごしていただきたいと思っています。

その為に「自分の道を歩んでいただきたい」と思っています。

自分の道を歩めることが「幸せ」です。
その幸せは人生いろいろあっても「決して無くならない幸せ」です。

僕は20歳の5月に手にすることができました。

ぜひあなたにも自分の道を歩んでいただきたいと思っています。

その道を友として支えにいきます。 kenji


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道について

道とは「華道、茶道、柔道、書道・・」と呼ばれる「道」のことです。

道とは「なぜそれをやるのか」の中にあります。

その問いの中でい続けてください。
こたえを出すことが重要ではありません。「問いの中でい続けること」がとても重要です。

禅がそれを伝えています。

「問いの中でい続けること」で、「思考力」が芽生えるのです。

思考力については下記↓の大愚和尚さんのこの動画を参考にしてください。

上手くいく人とそうでない人の思考『思考力』序盤部分
https://youtu.be/UQnRcVX96ew



道を歩むことが「幸せ」であり「成功」なのです。

一般的に呼ばれる成功も欲しいなら、「道の中で成功してください。」

道から外れた成功には足りないものが生まれます。

人生において、本当の充実感ややりがいや生きがい、感動等が生まれにくいのです。

「喜び」はあっても「幸福」が、実はないんです。

心は満たされることがあっても、深いもの、魂と呼ばれたりもありますが、
「自分の魂が震える、喜ぶ」みたいなものがないんです。

道とは言い換えれば「人生の質」となります。

歩まなければいけないものではありませんが、歩めると「人生の質」が高まります。

「自分にとって最高、素晴らしい、理想的な人生とは何ですか?」

”そこそこ”から、本当に悔いのない人生が生きられるのです。

手に入れることが目的ではありません。

「最高、素晴らしい、理想的な人生の中にいるということが重要なのです」

それは「恋」や「青春」と呼ばれるものと同じ質です。

その瞬間から「世界が変わる」ものです。
手に入れれるかはわかりません。でも間違いなく言えるのは「楽しい」のです。

「冒険」や「旅」とも同じ性質のものなのかもしれません。
旅とはそのものが楽しいわけです。

唯一確実に決まっていることは「自分は死ぬ」ということです。

「旅の終わりのように、振り返ればそこにたくさんの旅の思い出がある」

そんな人生をつくっていただきたいと思っています。


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「主」であってくださいね。

欲しいものをや手に入れたいものに対して、
「どのようにして手に入れるのか」

そこにも「主」であってください。


「これを自分もやり、人にもやらせてください」


従う系って「かなりめんどくさいですから」

従うって、飼い慣らされているペットみたいな感じで、
「その人は無意識でやりますから」


嫌々でも我慢してでもやりますから。

「ただ後で不満たらたら言いますが」

従う系って、「素直に従っているんじゃないですから」

嫌々です。

「基本は自分にとって都合のいいことは従うし、
 都合の悪いことは従わないです」


従う系ってかなりめんどくさいので。

「自分もやめて、人にもやめてもらってください」


とくに子供を従う系なんかに育てたら、
あとあとめんどくさいですから。

どうせうつになったり、ニートになったり、
ひきこもったり、いろいろやるだけですから。

「道がわからないのです」




「みんな主体的に生きればいいのです」


従う系は「人への迎合や、合わせるや、
媚びる、へつらう」が似たようなところにあります。

服従とかね。

「服役」とか言いますよね。

囚人ですからね。


共通は「うまくこの世を生き延びるためです」


みんな別にやりたくてやっているのじゃないですから。

「生き延びる」ためでしょう。



ただまあそこまでして生きたいのかなあとは
個人的には思いますが。


こう生きるなら死んだほうがマシ、というのが
僕の中にいくつかありますよ。

それが「支えてくれて」
前に進むしかないというのがあります。

「後ろがないのです」


生に執着がないというより、
「10年不本意な生き方をするより、
1年本意な生き方となら、1年をとります」


長生きしたかじゃなくて、
「どう生きたか」でしょう。


僕の好きな言葉が、
「死ねば、助かるのに」です。

赤木しげるの言葉です。

「生きようとするから、死ぬのです」

こんなこと言っていると、
世間から置いてけぼりをくらうので置いておきます。

ただでさえ、置いてけぼりをくらっているのに。



「主」で生きて、

まわりを「従から主へと変えていけばいいのです」

自分の環境が楽になりますよ。



「従から主へと人への変え方」は、

むらぐらつかんで、
「おまえ人生なめるなよ」
でいいと思います。

ダメですか?


「おまえ人生なめんなよ」とかね。



「欲しいものをや手に入れたいものに対して、
「どのようにして手に入れるのか」

考えて、命がけでやってから聞いてくれる?」とかね。

「別に本とか参考していいから」とか。



「命がけでやってから聞いてくれる?

 私の大切な命の時間、あなたどう思っているの?

 聞くなというじゃない。

 失礼がないようにしてもらいたいの。

 「命だけでやった上で聞いてくれる?」

 それが礼儀だと思うけれど、
 あなたどう思う?」とかね。


こんなこと言えば、
「自分も人も成長しますよ」


怒ったりや叱ったりじゃないのです。

なんていうのでしょうね。

「厳しさを与えるというのでしょうか?」


甘さを与える人はよくいると思うのです。
「自分よく思われたくて、嫌われたくなくて」

あと「自分の人生にその人がどうなるうが関係ないしね。
自分の人生のことで頭いっぱいだしね。それどころじゃないしね」



怖がらせたら逆効果ですが、
「厳しさを与えること」は必要です。

それが「現実だからです」

「厳しさを与えること」で緊張感が生まれます。

緊張するというのは、
主に「現場に出ること」です。

緊張しない場所は、
「ひとりよがりになりやすいし、
いろいろみえていないということです」

緊張感がない場所で考えたら、多分ずれますね。

緊張感がある場所で考えると、
「ずれにくいです」


「だいたい人生を動かす場所は、
 緊張する場所ですよ」


緊張感がない場所は、「無知」という場所でしょうね。

緊張感がないというのは「やばい」場所にいると認識したらいいですね。


「知る」と、きっと緊張感がでます。

緊張感と、現場感覚は比例すると思います。


「緊張感がないというのは、なにもその人はみえていないと思います」

「それどころか、勘違いをしていると思います」


人がみえていたら、緊張するでしょう。


多分「考え甘い」ですね。

それで、そのまま人生生きたらどうなりますか?

「多分その人酷い目に遭うと思います」

止めてあげたいじゃないですか?

かわいそうだから。


「別に放っておいてもいいんですよ、その人の人生だから」



でも30秒ぐらいで変わるなら変えてあげたいじゃないですか。


「従から主へと人への変え方」は、

むらぐらつかんで、
「おまえ人生なめるなよ」
でいいと思います。


それはたとえですが。
感情的にならずに、

「気付いてください。幸せになってください」
と心で願い、笑顔で、言うといいです。



とりあえず、自分「主」で生きて、
人にも「主」で生きてもらってください。

「みんな主体的に生きたらいいです」


欲しいものをや手に入れたいものに対して、
「どのようにして手に入れるのか」

そこに「全責任を自分がとってくださいね」

作戦、戦略ノートをつくり、
「どのようにして手に入れるのか」

書いていってください。

「本やいろいろ参考にしていいですから」


1番いけないのは、
「その人が言っているから」
等です。

小学生が
「先生がそう言っているから」
レベルです。


「だから、何?」という話です。それが従うです。

「お前の考えはなんなん?」という話です。


「その人が言っていることを参考にするのはいいですよ」

「先生が言っていることを参考にするのはいいですよ」


「お前がやりたいならやればいい」というだけです。

丸投げや責任転嫁をするな、という話です。



「その人が言っていることを、自分の選択でやるのはいいんですね」

そうしたら、それはあなたの選択です。

「先生が言っていることを、自分の選択でやるのはいいんですね」


それが「責任者」ですね。


「その人が言っているからやる」

「先生がそう言っているからやる」

では負け戦確定でしょう。

「人として残念でしょう」



その人が言っていることがあれば、
「その言ってくれたことは情報」ですから、

それだけとりだして、

「わたしはこのことをやります」だけでいいのではないですか?



「先生がそう言っているからやる」ではなく、

「わたしはこれをやる」です。


先生は「どうでもいい」んですね。

言ってくれた情報だけを頼ればいいのです。


「先生がそう言っているからやる」ではなく、

「わたしはこれをやる」です。


それが「責任者」です。



「先生がそう言っているからやる」は、

先生や他のみんな自分も含めて、

「全員に失礼です」


先生に恩をあだでかえす気かという話です。


「先生がそう言っているからやる」ではなく、

「わたしはこれをやる」です。


これというのは、「人を頼ればいいのです」

自分だけでは思いつかなかったりしますから。

「でも人を頼るのはそこまでにしておいてください」


「先生がそう言っているからやる」ではなく、

「わたしはこれをやる」です。



責任、主体的さ、自由さもありますね。



「先生がそう言っているからやる」では、

「お前の生き方とてつもなく不自由で、
 生き苦しいなあ」と思いますよ。



「わたしはこれをやる」です。

そのこたえを出すために本を読んだり、
人に聞いてもいいでしょう。

「頼るのは情報だけです」

あとは、

「わたしはこれをやる」

でやってください。


それ以外は、さすがに「人に甘えすぎ」です。

甘えすぎというか、「人にすがりすぎ」です。

迷惑をかけていますよ。


「先生がそう言っているからやる」では、
先生に失礼だし、

「生き方として、人に失礼です」

無礼です。


「わたしはこれをやる」で進んでください。


じゃあないと「根腐れ」が自分におきますよ。



あとはやってどうかです。

それでうまくいかないなら、
「次わたしはこれをやる」
です。


それでどんどん発展していきます。


うまくいかないのは、
「あの人がこう言っているからやる」
「この人がこう言っているからやる」
でしょう。


「お前は5歳児かという話です」


誰しもそういう心は「あるはず」です。

人は「あるはず」と断言はできますが、
自分のことは言えます。

「あると僕は断言が出来ます。」

「立派にあると断言が出来ます」

ある自信があります。

自信を超えた強いもの、「自己確信があります」



「お前は5歳児か」ということを

「油断」するといつでも僕はやります。

だから「油断大敵」なのです。


いつでも油断をすれば、
「人の後ろに隠れて、歩もう大作戦」
をやります。


というか、ときどきやります。

「楽(ラク)だもん」


でもね、やっていたらわかりますよ。

「結果が出ないんですよ、そういうときって」


僕の言葉が死んでいるのです。
パワーがないのです。力強さがないのです。

「結局人にバレているのです」


意識ではその人にはバレてないけれど、
無意識ではバレていますね。


そういう時は、
「お前の話に興味ない」
と人は去っていきます。

そうは言わないですよ。「みんな大人ですから」

みんな社交辞令が得意ですから。


「だから結果で判断しないといけないのです」

「結果が大事なのです」

なぜなら「結果が、人の本音だからです」


「結果と向き合うというのは、
 人の本音と向き合うということです」


結果は、金を稼ぐやそういうので、
結果がでないというのは「金を稼げない」ということです。

「金を稼げない」というのは実は問題ではありません。

なぜなら人に頭を下げて
「一生懸命頑張ります。なんでもやりますから働かせてください。

 そして、お金をください」

といえば、お金をくれる人はたくさんいるからです。


「金を稼げない」ことが問題ではなくて、

「裸の王様でいつまでもいることに問題があるのです」


「人の社交辞令を鵜呑みにして、
 いつまでも人の本音がわからない、
 人の気持ちがわからず、

 のほほ〜んと生きている、
 アホーでいることに問題があるのです」


「そんなお前、
 なにをやってもうまくいかねえだろう」

という自分をいつまでも人生でのさばらせておくことに問題があるのです。


成功どころか「幸せになりづらいです」

しかもそれを「自分、裸の王様ですからわかってないのです」


しかもわからず、生きて、別の問題におもい、
「時に湯水のように時にお金を使うのです」



「私に才能や強みはどこにあるのかしら?
 誰かにみてもらおうかしら?」とかね。


こんな究極に痛いアホの権化と化すのです。

「おまえ、不幸になること確定しているの気づいていないのです」

「もはや、不幸な道を歩んでいるのです。

 不幸な道しか歩んでいないのです」



「幸せになる方法は、裸の王様の自分に気づくことです」

こんなこと誰も教えてくれないでしょうが。

でも「そこでしょう」



裸の王様の自分に気づくことは、
「結果とむきあうしかないのです」

「結果が人の本音なのです」


社交辞令で人は「ありがとう」とは言っても、
「金は出さないですよ」

「金を出す時は、人は本気なのです。マジなのです」


「結果とむきあうことで、
裸の王様の自分に気づくのです」


だから、「結果が大事なのです」

「結果が全てだと言っていいです」



結果を出せないというのは、夢が叶わない、
成功しない、お金を稼げないなど、
「いろいろ問題」がありますが、

それは「ちっぽけな問題なのです」


「そんなもののために、結果を出す為に
 頑張れるか!」と思いません?


そんなものの為に、自分のモチベーションなんて上がらないです。

僕の最大のモチベーションは、

「裸の王様の自分をなんとかしたいのです」

「自分のみえていないものがたくさんあるのです」


これをなんとかしたいのです。

「そうしないと、かっこ悪いし、恥ずかしいし、
 不幸になるし、最悪なのです」


1番の最悪は、「裸の王様」の自分に気づかず、


「ああ、なんて私は不幸なのー」

「あああ、なんで私はうまくいかないのー」

と嘆いていることです。

プラス時に湯水のようにお金と時間を使い、

「自分の人生を追い込んでいくこと」です。


かなり辛くヘビーな人生です・・


「それを僕は避けたいのです」


「裸の王様」の自分に気づかず、
人生のたうちまわるのは「1番辛いし」

「なおかつはずかしいし、
 かっこ悪いです」



辛いのはいいです。
恥ずかしいのと、かっこ悪いのは嫌です。



まさに「裸の王様」をやっていることが辛いのです。


「本人どや顔で歩いていますよ」


でもこの状態が辛いのです。



「この状態をどうやって、
 自分で気付きますか?」


「あなたパンツ一丁で街歩いていますよ」
と誰かいうのですか?


言われても

「きみはバカだなあ。
 
この素敵な鎧がみえないのかねえ」というだけです。


多くの人は言わないですよ。

「変質者と思うだけです」



このきつい状態をどうやって、
自分で気づいたらいいですか?



それが「結果と向き合うしかないのです」


だから僕は「結果にこだわるのです」

目的も達成したいですよ。

でもそれ以上に「裸の王様の「自分をなんとかしたい」のです」


結果に出す過程で、
「裸の王様をなんとかできる」
のです。


理由は、「裸の王様をなんとかしないと結果がでないから」です。



目的を達成しないことが問題ではなく、

「裸の王様の自分をいつまでも
 のさばらせておくことに問題があるのです」



だから僕は「夢を叶えることにこだわって欲しいのです」
「金を稼ぐことにこだわって欲しいです」
「成功することにこだわって欲しいです」


それは、夢、金、成功の為ではなく、

「裸の王様の自分をなんとかする為です」



裸の王様の自分のまま、
「人生生き続けたいですか?」

辛いことになると思うのです。

夢を諦めるのも、金も成功も諦めてもいいのです。

けどね、「裸の王様の自分でいつづけるのは嫌」って思うのです。

かっこ悪いんですよ。恥ずかしいのです。

「だから僕は結果を出すことにこだわります」


その道のりで、
「裸の王様の自分を変えたいのです」


多分、モチベーションがない、続かない人は、

「裸の王様の自分なんだと気づいてないだけです」

気づけば、モチベーションがない、続かないってないです。


人間というものの本質は、
「正しいこととわかっていても、やらないです」
「間違っているとわかっていても、やります」

「良いことだとわかっていても、やらないです」
「悪いことだとわかっていても、やります」

けっこう愚かです。

けどね、

「かっこ悪い、恥ずかしいと思うことは、人間はできません」


かっこ悪い、恥ずかしいと人が言うことは関係がありません。

「自分が」かっこ悪い、恥ずかしいと思うことは、人間はできません。


ポイントは「自分が」です。

人が「それかっこ悪い、恥ずかしいよ」と言っても、
自分がそう思わなければやれます。

でも「自分がかっこ悪い、恥ずかしい」と思えば、無理です。

出来ません。


人間というのは、究極、
「それが「かっこいい」ものだと認識すれば、
 平気で人を殺します」

歴史がそれを証明しています。


典型的なのが、不良でしょう。

「悪いことだと知っていても、
 かっこいいと思うからやるんでしょう?」

それでやめるときも、
「それがかっこ悪いと感じる時にやめるんでしょう?」


とくに日本なんて恥の文化です。

「それは武士の「恥」だと思えば、死んでも守り抜きます」


「恥」が「死」よりも怖いのです。

これは、わからない人にはわからない感覚です。

なぜなら「何のために自分は生きるのか。
生きているのか。何のため生まれてきたのか」

というこたえを持っている、悟っている人は「そうだから」です。

「死生観を持っているからです」


そのこたえを持っている人には、
「そこからずれること、外れることは死よりも怖いのです」


多くの人はこたえなんて持ってないですから。

持ってない場合は、コマンドは1つです。

「うまく人生を生き延びるです」

長生きです。

どう生きるかじゃなくて、ただただ長く生きたい、それだけです。

それの最善手は「なにもしない」ですけどね。


別にいいんですけどね。
でもそんな教えが、子、孫、子孫にいくというだけです。

「自分が死んでからのことを考えた時、

 こう生きた方がいいってあるのです」

先祖の因果がこうとか言われるわけでね。


「そこどうでもいい」という人はそれはそれでいいわけです。


100年後、200年後、500年後を見据えて生きる人も
いるというだけです。

お釈迦さまはちなみに「2500年後」も見据えていました。

だから「わたしの教えが正しくひろまるのは、
きっと2500年後ぐらいだろう」と言っていました。


お釈迦さまへの「平和への願い」は、
今も生きて、さまざまな人に影響を与えています。

「恐ろしい力です」

だからまさに「神」と呼ばれるわけです。

「恐ろしい力」を持っている人を僕達は「神」と呼びますからね。

野球の神様とかね。

あと自然とかもそうですね。



「主で生きる」

欲しいものをや手に入れたいものに対して、
「どのようにして手に入れるのか」

そこにも「主」であってください。



「誰かがこう言っているから、こうやっているからという
 「従」レベルで人生生きていたら大変ですよ」



自分の人生ぐらい責任を持って生きられないのか!
という話ですから。


5歳児以下になります。



欲しいものをや手に入れたいものに対して、
「どのようにして手に入れるのか」

そこに「主(責任を持って)」でいてください。


そして次のレベルの段階は、


「欲しいものをや手に入れたいものを手に入れてください」

手に入れれば、「結果が出た」ということです。



「結果を出す」ことの本質は、

欲しいものをや手に入れたいものを手に入れることじゃないと思います。

「大事なのはそのプロセスです」



本質僕は、
「裸の王様の自分をなんとかすること」
です。

別の言葉でいうと、「自分を成長させる為にやるのです」


それがわかってないから、
「途中で挫折するのです」



欲しいものをや手に入れたいものを手に入れれないことは
「どうでもいいのです」


でもね、
「裸の王様の自分をなんとかしないと、
 まわりに絶対に迷惑をかけますよ」


ぞくにいうさげまんになります。


「それが問題なのです」



なので、「結果に必ずこだわってください」


理由は「裸の王様をなんとかするためです」


プラスおまけで、自分の欲しいものや手に入れたいものも手に入れれます。

「一石二鳥です」


素敵な道です。






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┃\/┃ 「誰かにとっての希望の光になろう!」
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ブログ:https://ameblo.jp/atokau

「ブログでいろいろ伝えていますので、何か困れば
その時読んでいただいて、お役に立てばとても嬉しいです。」


自己紹介 kenji
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記事一覧

僕が来年メインでお伝えするのは、「人を理想世界へと導く」になると思います。

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2022年12月31日

「5年、10年、一生涯、仕事に困らないものは何でしょうか?」

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2022年12月24日

コンサルの内容「思いをしっかりと育てる」

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2022年12月17日

来年「貢献しあえる仲間づくり」に取り組んでいただけたらなと思います。

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2022年12月15日

”育てる”という感覚を持って、ぜひ仕事をしてみてください。

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2022年12月04日

僕をきっかけにぜひ「つながりのパワー」を活用して頂けたらなと思います。

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2022年12月02日

「あなたの人生の物語が、確実に進むように。」が完成しました。」

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2022年11月28日

「今、あなたはどんなメッセージを世界に放っていますか?」

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2022年11月25日

「世界に自分が解き放つもの」

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2022年11月24日

kenjです。おひさしぶりです。

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2022年11月23日

「だからぜひこの2つをがんばってもらいたいのです」

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2022年09月16日

「誇り」「やりがい」「志」

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2022年09月15日

「みんなと仲良く!」

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2022年09月14日

やりがいを持てるイコール「その仕事が向いている」「その人に合っている」

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2022年09月14日

「好きややりたいこと」は、心ですが、「やりがい」は、魂です。

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2022年09月14日

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