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『ピースボート』

「人生は予測ができる。対策をしよう」

2020年10月26日

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■「人の心を笑顔にしよう。」
https://ameblo.jp/atokau/entry-12570311527.html
僕のスローガン(理念)はこちらの記事に書いています。


■それぞれのジャンル、業界や、同じコンセプトの人同士が手を組み、
「客を幸せにしていくのです」
https://ameblo.jp/atokau/entry-12385274586.html
僕のビジョンはこちらの記事に書いています。


僕のコンサルでのコンセプトは、
「お客様(人)の明るい未来や叶えたい未来を叶えに行こう」
です。

そこに「共感」してくださる方が僕にとってのお客様です。
お客様を超えて共に素敵な日本をつくってくださる「仲間や同志」だと思っています。

「お客様(人)の明るい未来や叶えたい未来を叶えてくれたらとても嬉しいです」

お客様(人)の明るい未来や叶えたい未来を叶えられなくてもいいのです。
「叶える為に、命がけになり叶えにいくことがとても重要です」
そもそも1人の力だけでは叶えられないです。だからコミュニティが重要なのです。
同業者は敵ではなく、味方であるという概念が必要なのです。
共にお客様(人)の明るい未来や叶えたい未来を叶えていくパートナーなのです。
「同業者とたたかっている場合ではないのです。」

「すべてはお客様(人)の明るい未来や叶えたい未来を叶える為です」

そこが重要なんです。共に素敵な日本をつくってください。

人が「人生が楽しい」と思えるのは、そういう人が増えることなんです。

「あなたの生き方はそもそも人に「楽しさ」を与える生き方なのか、
 問ってください」


つまらない世の中とは「つまらない生き方をしている人がいるからなのです」

自分も人も含めてです。

人に求めるのではなく「自分の生き方」からはじめてください。

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「世界の農業を変革する!」と言うて、
カンボジアに行き、いろいろ人に聞いて「カンボジアのトップの人がここにいる」
という情報を聞いて、招待されてもないのにそこに行って、
ボディガードに止められながらも、大声で
「俺はガンボジアの農業を変えにきたんだ!」
と叫び続け、

「なんやねん、この騒がしさは」と思ったトップの人が
そこに行き、それでその人に聞いたのです。

「あなたはガンボジアに何ができるんですか?」と。

そうしたらぺちゃくちゃ喋ると、そのトップの人が、

「わかりました。じゃあ近々連絡します」と言われて、

本当にすぐに連絡が来て、カンブリア宮殿みたいなところに通されていく
という人がいるのです。


今ではそのガンボジアのトップの人が日本に来日する際には、
外務省から連絡が来て、「あなたと会食の時間を持て」
という連絡がきたりするそうなんです。



「なんじゃい、このイケイケバンバンな人は」という人がいるのです。


「恐ろしいなあ」と僕が思う人です。


モノを売るとなったら、「電車の中」でも売ってくるのです。

電車の中で知り合い、その人が降りる頃には「売れている」
というそういうことをやるのです。


「そんなんできへんやろ」と僕は思うのですが、
一緒にいると「ああ、あるな」と思ってしまうのです。
しかも絶対。

普通に2人でご飯を食べていると、なにげに隣の人に声をかけ、
モノを売っていきますから。


「お前はプロのナンパ師か!」と思います。

また「24時間営業のコンビニか!」と思ってしまいます。

いつでもどこでもそれをやる。

あなたにオンオフのスイッチはあるんですかと思います。

ないんですけどね。

それがその人にとっては自然であり、素なんです。



その人は「スピリチュアルが嫌い」だというんです。

でもね、会社員時代、わざわざ神社に行って、願いごとをその人はしたんです。

「家と結婚と、投資家の成功をください」って。

「その代わり、僕はたくさん世の中に貢献していきます」って。


僕は神社で願い事をしても叶わないと思っているのですが、
その人のは叶うと思いました。

別に神様にお願いというよりはただ単に自分との約束事なんです。



家は会社員時代、「俺もいつかこんなところに住みたい」というところがあったのです。

それでそこに行って「俺はここに住む」と指差したところがあるのです。

「そこ人が住んでいますやん!」という場所なのです。


「その家の事情もあるでしょ」と思います。


でも今ではその家に住んでいるのです。


結婚も、同じく会社員時代、同僚と寿司屋で飲んでいたら、
バーーーっと玄関が開いて、キラキラとした女性が入ってきたそうなんです。

「美しい」と。

それで同僚に「俺もいつかあんな人と結婚したい」と言ったそうです。

そうしたら同僚が、
「あああ、あれは高嶺の花やー。いやいや無理や」
と言ったそうです。


それでその人は思いました。

「無理なのかなあ。無理なのかなあ。無理なのかあああ」と。


それでその人は何年後かに結婚しました。

それで結婚1年も経たない頃に、その寿司屋の出来事を思い出したのです。

それで奥さんに声をかけて、
「昔、何年か前にこういう寿司屋に行かなかったか」
みたいなことを聞いたのです。


その高嶺の花と同僚が言っていたのが「今の奥さん」です。

寿司屋でみかけた人なのです。



「あなたの物事の叶え方っておかしくないか」と思ってしまう人です。

「そんなドンピシャで叶うものなの?」と思ってしまうのです。



そういう営業のプロというか、営業ではないですね。

「思いを実現させていくプロ」ですね。



陽の人は見習ったらいいと思うのです。

陽の人というのは「普通の仕事」です。



僕は彼のようにはできないです。

「なんでそんなイケイケバンバンにやれるの?」と思います。


やろうとすればできると思うのです。

単純に「どこにコミットするかだけなので」
(人はそんなに変わらないのです。)


ただそれが見つけられるかどうかがわからないのです。

根本的に興味がないと思うのです。



僕は完全に陰の人なのです。

陰の人というのは何かというと、そのイケイケバンバンの人、
まあ長岡さんというのですが、その人と癌になられた人と僕とで
3人でご飯を食べていた時があったのです。

それでその長岡さんが癌の方に、
「絶対治る。間違いなく治る。間違いない」とか
言っていたのです。


それで僕が長岡さんに思ったのがかなり失礼なのですが、
正直に思ったことを伝えると
「お前のトークは終わっている」でした。

長岡さんに「お前は邪魔」と僕は思ったのです。

「なんで他のトークは素晴らしいのに、
 そこはアホなん」と思ったのです。


「あなたはなぜ人を不幸に導くねん」と思い、
僕がしゃしゃり出て、会話を始めたのです。


「治らないかもしれないですよね。再発するかもしれないですよね。

 死ぬかもしれないですよね」

みたいなことを僕は言い始めたのです。


ひたらす長岡さんは希望を与えているのに、

僕は絶望を与えているのです。



そこからなんか僕はズケズケと踏み込んでいったそうです。
(僕は人生よくしているのでそんな意識はないです。)


「なんなんだ、このいけいけバンバンは!」

「えっ、それ聞いていいの?
 
 えっ、そんなこと言っていいの?」


「いや、それは〜ーー」

みたいな、驚きや、恐怖の連続だったそうです。

長岡さんは。



結論を言えば、癌の方に「感謝をされました」

しかも月日が経つほど「感謝をしてくれるようになりました」



世の中にどうでもいいことあるじゃないですか。
そういうのはスルーするんです。

でも死が関わるものや取り返しがつかなくなることに
スルーするわけにはいかないです。

そういう可能性があるものに僕はスイッチが入るのです。


僕は人の人生に予測を立てる癖があります。

だから僕の人生に「えっ、なんでこの人が病気に」なんてないです。


そういうのもあるのが人生ですよね。

「誰でもそういう可能性ってありますよね」

それらは「想定可能です」


「えっ、なんでこの人が病気に」と思うことは、

「じゃあその人はずっと病気にならずに健康でいる」
という予測をその人は立てたのでしょうか?


その予測があって、それが「はずれた」ということなのでしょうか?


僕以外の人は「予測なんてしていない」と思います。


ただの「ポジティブシンキング、楽観的さ」でしょ。

裏をかえせば「何も考えていない」ということです。



予測さえしていれば、「仮にはずれた」としても、
「なぜはずれたのかを考えることができます。」


たとえば「その人が10年は病気にならずに健康でいる」と予測を立てて、

それがその予測がはずれて、5年で病気になったとします。


「なぜ外れたのか、なぜ病気になったのか」を
考えることができます。


予測は、「あてる為にあるんじゃないです」

「外れた時に、考える為にあるんです。」


すると次に活かせますよね。



僕もいちいち考えないというか、
「なんでもかんでもに予想をしていたら、いくら体があっても足りないです」


予測屋という職業じゃないのだから。


「たくさんやることあるし、考えることはあるんです」


だから大事なものだけやっています。


1番大事なことは「死」です。


死ななければ、人間あとのことはどうとでもなるじゃないですか。

取り返せるのです。

「でも死んだら終わりじゃないですか」



だから1番の優先事項は僕は「死」なのです。


あとそれと同じぐらい大事なのは、「取り返しのつかないこと」です。


たとえば手が無くなる。足が無くなる。顔がゾンビみたいになるとか、
それらはたとえですが「これなら死んだ方がマシ」と思う状況もあったりします。

急に両手が無くなったら、「死にたくなったりしません?」

あとは人を殺してしまうとか。


「死」よりも時に、「取り返しのつかないことが死よりも辛い」ということが
あったりします。



このことが人生の2大きついことだと思うのです。

だからそこにおいて予測を立てています。


「優先順位です」


1番防ぎたいものです。



3つぐらいの優先順位があって、
1番に1番エネルギーをかけて、
2番目にその次、
3番目はその次って、しています。

3番目以降は、「どうでもいい、考えない」ってしています。


細かいことはどうでもいいんですよ。

取り返せるからですね。

それに人間って痛い目に遭うのも、失敗するのも「財産になりますから」



ただ「死」んだり、
「取り返しのつかないこと」に、

「人生無駄なものはなに1つはない」
「何事も経験」等、言いづらいじゃないですか。

「授業料」とか言いづらくないですか?


細かいことや小さいことには言えるじゃないですか。

「言えることおいては予測はしません」

そう言えないものです。




人はそもそも予測をしないです。

しなくてもいいのかもしれませんが、
「起きるものの多くは想定内です」

「本来誰にでもあった可能性であったりします」



人生は「石橋を叩いて歩け」です。
「油断大敵」という言葉があります。


たとえば、地震対策とか津波対策とかってありますよね。

「それ起きる確率何%?とかあります」

1%もなかったりするのです。

1%もないのに、みんな対策をするとかってあります。


「この地震や津波とかより確率が高いってあります」



たとえば、自殺する確率何%ですか?

毎年2、3万人が亡くなっているから、パーセンテージで出せます。

それで「死ぬ」って相当です。

「死にたいけれど、死ねない」みたいに人生追い込まれている人は
亡くなられた方の何十倍もいると想定できますよね。

そこも「辛い」と思うのです。

それらを自殺予備軍と称します。

自殺者と、自殺予備軍のトータルの数字って大体出せたりします。

「じゃあそういう人が周りにどれくらいいるかって出せたりします」


1人ぐらいいるかもしれないと。

あらわれるかもしれないと。

出会わないより、出会う方が確率が高かったりするのです。



病気もそうで、毎年こういう病気で亡くなる、
この病気で亡くなるとか、数字で出ていると思うのです。

その数字をみていると
「むしろ病気にならない方が確率が低くない?」
と思ったりします。


だから「病気になってあたり前」
「病気にならない方がおかしい」とも言えたりします。


じゃあ別に病気になって「なんで病気」と思い、
不思議がるのも変かもしれません。

「おとずれるべきしておとずれた確率の高い可能性」とも言えるのです。




「対策」というのは、別に起きなければ「全く対策していない」
というのと同じです。

ただの「手間と時間の無駄です」


その代わり対策しているのと対策していないのとでは、
「起きた時にまったく違います」



それで「どうしても対策ができないぐらい忙しい状況」なら、
仕方がないかもしれませんが、

「遊んでいる時間や、なんか無駄なことを考える暇があるなら、
 対策に時間を使った方がいいんじゃないですか?」と思います。


別にやらなくてもいいのですが、
「やらなくて困るの誰ですか?」


もし何かが起きて。



対策はまず予測から始めるのです。

「人生で現実起きる可能性があるものを想定するのです」


そこを思いこみで、
「いやそんなんないって」とかね。


それをやるのは自由です。


「起きてもどうってことない。挽回ができる」
というものは別にいいと思うのです。


そうじゃないものは別に手を打っておいた方がいいと僕は思います。


人のいろいろを聞いていると
「いや、それはあからじめ想定できたやん!」
というものばかりですよ。


どうせそういうところで人間足を引っ張られるんですよ。

じゃあはじめからとことん対策をしておけばいいのです。


「内部をしっかりと固めて、それから攻撃に出ればいいのです」

攻撃というのは、ただの行動です。



予想をします。

「いろんなことを想定します」


すると「外れた時」に違いますから。

なぜ外れたのかを考えて、次に活かせますから。


それでそういうことをしないと、
「同じことが何度も起きたりします」

それは仕方がないです。

「だって対策してないもの」

なんの反省もしていないし、ゆえに活かせないので、
また起きますよね、と思います。


「自分で波乱万丈な人生を勝手につくりたいなら
 いいのです」



対策をうって、起きるものは仕方がないですが、

「対策もうたないで、同じことを起こして、
 勝手に自分何度も苦しむのはどうなん?」と思います。


僕はいいんですけどね。



陰の人、陽の人の話をしようと思ったら、その話はどこかにいって、

「僕はこういうふうに会話しているよ」と伝えようとしたら、
それもどこかにいって、

「脱線話で、わかりづらくてごめんなさい」



覚えてもらいたいのは、
「人生は予測ができる。対策をしよう」です。

こちらが重要ですね。


対策はできるできないじゃないです。
やるだけです。
予測は外す場合もあります。外れたらそれはそれでいいのです。

「この人はずっと病気にならずに健康」とか、

「うちの会社はずっと安泰」とか、

「子供はずっと一生幸せ」とか、

こういうのは予測ではなくて、希望や思い込みや願望や期待のたぐいですよね。


それで、希望や思い込みや願望や期待が「勝手に裏切られ」

人は堕ちていったりするのです。


「人がメンタルが弱いと言っているのはメンタルが弱いのじゃなくて

 しいていうなら、頭が悪いというだけでしょ?」


頭が悪いというのとも違いますね。

「予測ができる頭はみんなあると思うので」




予測をした時、それが起きる可能性があるのに、
「勝手に嫌、無理」と思い、
「考えないようにしたり、みないようにして」

ただポジティブシンキングや楽観的さに生きて、

「で、勝手にその期待が崩れて」

人は、あああって、堕ちていくという感じなのです。



「勝手に嫌、無理」と思ったところが、メンタルの弱さなのかな?


でも「嫌、無理」と思うのは、誰しも思うわけです。

僕も思う。


でも人生はその起きる可能性もあるわけで、

「嫌、無理」と思っても、言ってもねー、という話なんですよね。


対策した方がいいと思うのに、
したくないという感じだと思うので、

メンタルが弱いわけでもなく、頭が悪いわけでもなく、

1番適切な言葉が「だだっこ」かなと思います。


「雨が嫌!嫌い!なんで降るのー!」
「晴れだと信じていたのに」とか。


「この世」について、文句があるという感じだと思うのです。

仕方がないです。「この世はそう」というものです。


オギャーと生まれて、お母さんのお腹の中で居心地よくいたのに、
急にこの世界に放りだされて、

「この世界が気に入らねえ!」

と言っている感じだと思うのです。


「いや仕方がない」みたいな。


人の悩みの根本は、

「この世界が気に入らねえ!」

なのかなと思います。


「いや気に入らないといっても、そういうもの」としか言えないですよね。


でもどうせ生まれるならまだいい時代だと思うのです。

奴隷に生まれてきているわけでもないし。
戦争に駆り出されるわけでもないし。

「美味しいものだってたくさんあるし、
 映画なんてすごいものがあってそういうのがたくさん見放題みたいなものだし、
 音楽もたくさんあるし、
 エアコンというものがあり、冬は凍えなくていいし、
 夏は暑さでもだえることもしなくていいし」

 いい時代だと思うんですけどね。



昔、戦争していた時、「誰しも夢みた世界です。」

「いつかそんな世界が来ると信じて、
 それをつくろうと、たくさんの人が命を投げ出して、
 つくってくれた世界です」


そこに「文句を言う」より、
「感謝した方が僕はいいと思うんですけどね」


昔の人にとっては「天国の世界」です。

昔は差別が当たり前だったのに、今の時代はそんなことをやれば
アホみたいに叩かれるわけです。



いろんなことは想定できます。

人をみていても「想定の範囲内だな」と思います。

別に不思議なことは起きていないです。


勝手に、希望や思い込みや願望や期待を持つと、
「勝手に裏切られ」

痛い思いをするのは自分です。


ただでさえ「想定の範囲内」のことが起きて、
対策していても、実際しんどいのですから。


そりゃ想定外にすると「メンタルは当然やられます」

弱いのではなく「考えなさすぎなのです」

でもきっとそういう人は、しょうもないことばかりを考えているのです。



僕が提供しているのはこういうものです。

思うんですよ。「現実を見させて申し訳ございません」と。

「夢をみさせてあげたいのです」

気持ち的にはね。


でもそれを「やるばやるほど辛い人生になります」


勝手に、希望や思い込みや願望や期待等を持つと、
別に持ってもいいですが、
「叶わなかったらどうしよう」とか、

不安、恐怖、焦りや、イライラ、いろんなものをつくるのです。

「常に不安」

ストレスです。

これがもし病気なら治りづらいわけです。


それで勝手に、希望や思い込みや願望や期待を持つと、
「勝手に裏切られる」ということもあります。

すると今度は「世の中に、恨み、つらみや憎しみ」等という
感情を持ちやすいです。


「お前、人生もう終わってんなあ」という状態になったりするのです。



「もう、バカねー」と思います。


人生はいろんな予測が可能です。

その中には「欲しい未来もあれば、欲しくない未来もあるでしょう」


何か手に入れたいもの、欲しいものがあれば、
「それが叶うかもしれないし、叶わないかもしれないです」

それが「人生なんです」


叶わないことも想定するのです。

「その人生もあるわけです」


その人生が「手に入っている方」もいるでしょう。

「今の人生は望んだわけじゃない」と。


でもその人生も「想定内」なのです。

「本来、予測しようと思えば、できたと思いますよ」



結婚ならば、結婚できないこともあります。

病気ならば、治らないこともあります。

仕事ならば、成功しないこともあります。



「それが人生です」


「もっと言えば、当たり前なことです」


「普通」です。


結婚して、離婚というのも「想定できる範囲なわけです」

離婚の確率なんてみてください。「よくあること」みたいな感じになっていますから。


それが現実です。

「勝手にポジティブシンキング、楽観的に人はなるだけです」

「自分だけは違う」というのが、究極のポジティブシンキング、楽観的さです。



現実を踏まえた上で叶えたいなら「乗り越えていくのです」


人生は想定ができます。

僕が言えるのは「日本にいるなら、餓死はしないやそういうのです」

結婚なら「一生独身」

仕事なら「一生成功しない」

等、そういう可能性があるのだから、「受け入れた方がいいです」


それでも人は幸せに生きられるのです。

幸せを感じて生きれないことが、最大の不幸なのです。



別に当たり前な話です。

「人生はその可能性があるんです」

なんでもそうですが、「叶うかもしれないし、叶わないかもしれない」

どこまでいっても「それが人生なんです」


「嫌だ、嫌だ」と駄々をこねても仕方がないんです。


「人生はその可能性があるんです」


勝手に人間は「ない」と決めつけたりします。


でも人生はそうじゃないのです。


「人生を知らない。および人生というものを履き違えている」

それがそもそもの人の悩み苦しみの出発点であったりします。

それでたとえば服のボタンを第一ボタンをかけ間違えたら、
「残りのボタンは全部ずれますよね」

そのように全部を間違えてしまうのです。

「少しずつズレているのです」

途中の第3ボタンや第4ボタンを触っていても意味がないのです。





それで僕らにできるのって、
「欲しい可能性にベストを尽くすだけです」

杭の残らないように「命がけで取り組むこと」です。


それしかできないし、「それができます」


ただ僕が言えるのは、
「自分次第で、確率を1%でも2%でも高めることができます」



人は0%か、100%か、みたいな考えをしますが、
「人生にないのはこの2つです」


たとえば、「絶対飛べるわけがない」とかね。

人はよく思います。0%だと。

でも今は飛行機が飛んでいます。

多くの人が0%だというものを、かたちにしてきた人は大勢います。


人生にないのは「0%と100%なのです」


「人生にあるのはいつでもその間です」


それでその間の可能性を「自分次第で1%でも高めることができます」

僕らができるのは「確率を上げていくことだけです」



「欲しい人生に向かって、

 それが手に入るよう、確率を1%でも上げていく」


これができるし、あとはできないです。


人は「0%か、100%かのところにいたりします」


「ちょうどそれは人生にないですよね」というところにいたりするのです。


人生に「ない」ところにいたら、

どうなると思いますか?


もはや「廃人」です。



僕らができるのは、

「欲しい人生に向かって、

 それが手に入るよう、確率を1%でも上げていく」

だけです。


「後のことは考えなくていいと思います」

考えることは後は1つです。

「楽しめ!」です。



映画、禅(中村勘太郎さん主演)の、

「ありのまま、あるがまま見ることが悟りですぞ」

です。

悟りの邪魔をするのが「煩悩」です。

(希望や思い込みや願望や期待等は全て総称すると「煩悩」です。
煩悩がいけないわけじゃないですよ。人間だもの「あって当然です。」)

「どこか行け、お前」とやるのです。

(ちょっと横にどけるようなものです。「見えないから」
煩悩自体は無くせません。煩悩と戦うのは大自然に挑むようなものです。
津波が憎いから津波に立ち向かう、地震や火や海や山に戦いを挑むようなものです。
人間は100%負けます。)


それで「実際あるものを見るのです」


僕は実際あるものをみるのです。

そうしないと「対策を打てない、および間違えるからです」


冷静になります。

「実際にあるものはなんだ」と。



それで僕が実際「みたもの」を伝えています。

別に特別なものでもなくて「普通でしょ?」


でも人はみえないのです。

邪魔するのが「煩悩」です。


気持ちはわかるのです。「でも叶わないのです」


何十年も生きていたらみんなそれがわかると思うのです。

「世の中は、厳しい」って。

薄々どこかで気づいていると思うのです。



実際あるものをみて、「立ち向かう」のです。

それか「やめてもいい」のです。


ただ「煩悩」に扱われていたら、「人生ちょっと棒に降るかもしれませんね」
というだけです。



悟りって僕は特別なものではないと思います。

「煩悩で頭がおかしくなっている人」が、

ただ「普通の人、常識人になるだけです」


常識人な人というのは、常識の行動ができるというよりは、
「心に常識ができる」というだけです。

行動は「非常識な場合があります」

それは常識って人により異なるからです。


「煩悩で頭がおかしくなっている人」も、
別に常識人として立ち振る舞うことはできますから。


外見ではなくて「心のこと」です。





意外とみんな「煩悩で頭がおかしくなっていますよ」

それが大多数だから「そう思わないだけです」


たとえば人は「すぐできない」と言うのです。

「苦手」とかね。「向いていないとか、合わないとかね」


そういうものは全て
「命だけで3年ぐらい取り組んでみないと全部わからないですよ」


やらないのはいいと思うのです。「好みは」

時間は有限ですから、なんでもかんでもに時間を避けないですから。


そういうのは氷山の一角に過ぎなく、
人は無駄なことばかりやっているのです。

それで「いちいち前に進まないのです」

「煩悩で頭がおかしくなっているのです」


「人生棒にふるよ」と本当に思います。

時間は有限なのです。

限られた大切な命なのです。



さあ、進んでいきましょう。


いつもあなたの人生、仕事を応援しています。

           kenji











┏━━┓_______________________
┃\/┃ 「誰かにとっての希望の光になろう!」
┗━━┛ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\



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特に1番僕が聞きたいのが、
「どのようにお客様の明るい未来や、素敵な未来をつくりだしているのか」です。

それが僕の夢ですからそれがつくりだされているのを聞くのは嬉しいです。

次に「お客様の明るい未来や素敵な未来を現在はつくりだせて
いなけれど、そこについて「命がけに取り組んでいるその人の姿」です。」

ぜひ今の日々を報告してくれると嬉しいです。

いただいたご報告やご感想等をもとに
「みなさんにとってよりメルマガで貢献できるよう反映させていただきます。」

お客様の明るい未来や、素敵な未来をつくりだしていきながら、
自分の手に入れたい人生を手に入れていってくださることをいつも応援しています。



ブログ:https://ameblo.jp/atokau

「ブログでいろいろ伝えていますので、何か困れば
その時読んでいただいて、お役に立てればとても嬉しいです。」


自己紹介 kenji
https://ameblo.jp/atokau/entry-12344157903.html


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【今この時代の立ち回り方について】

まず把握していただきたいのが、「競争」から「共生」へのシフトです。

「競争」が男性性の時代のもの。
「共生」が女性性の時代のものだと捉えていただいて結構です。

女性性の時代は、2000年から1000年続きます。
それでまだ時代が変わり、「所詮20年」です。

男性性の時代のものが「色濃く残っていて当然です」

結論だけ言えば「今までのものは捨ててください」

時代が変わっているので必要はありません。


「共生」とは、「共に生きること」です。

まずは「競争の世界」から「共生の世界」への自分がシフトする必要があります。

「そしてその共生の世界の中で、自分のビジネスを構築していく必要があります」


「競争の世界」とは一体なにで、「共生の世界」は一体なにでという
「世の中の現状、全体像を理解した上」で、その上で共生の世界で
自分のビジネスを構築したい方はしてください。

その為の情報を下記にまとめています。
https://ameblo.jp/atokau/entry-12484115610.html


今の世の中の現状は、競争の世界で無意識でわけわからず生きていて、
それは苦しいというのはわかるけれど、「じゃあそこからどうしたらいいの?」という、
「新しい時代のものがみえなくて苦しんでいる人がたくさんいる」と思います。

そのような状態だとは認識してないでしょうが・・

でも多くの方はそのような状態なのです。

だから「新しい時代のものがみえればものすごく仕事がやりやすくなるんじゃないかなと思います。」

その光を与えることができれば嬉しいです。

            kenji



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記事一覧

僕が来年メインでお伝えするのは、「人を理想世界へと導く」になると思います。

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2022年12月31日

「5年、10年、一生涯、仕事に困らないものは何でしょうか?」

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2022年12月17日

来年「貢献しあえる仲間づくり」に取り組んでいただけたらなと思います。

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2022年12月04日

僕をきっかけにぜひ「つながりのパワー」を活用して頂けたらなと思います。

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2022年12月02日

「あなたの人生の物語が、確実に進むように。」が完成しました。」

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2022年11月28日

「今、あなたはどんなメッセージを世界に放っていますか?」

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2022年11月25日

「世界に自分が解き放つもの」

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2022年11月24日

kenjです。おひさしぶりです。

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2022年11月23日

「だからぜひこの2つをがんばってもらいたいのです」

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2022年09月16日

「誇り」「やりがい」「志」

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2022年09月15日

「みんなと仲良く!」

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2022年09月14日

やりがいを持てるイコール「その仕事が向いている」「その人に合っている」

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2022年09月14日

「好きややりたいこと」は、心ですが、「やりがい」は、魂です。

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2022年09月14日

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