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『ピースボート』

ほとんどの方にとりえなんてない。

2022年06月14日

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思い(理念)がしっかりとしていれば、
おのずとそこから素敵なコンセプトや戦略等が生まれていくと、
経営の神様と呼ばれた松下幸之助さんは言っています。


僕はその思い(理念)を20歳の5月、覚醒して持ったので、
その半年後、不動産屋に就職をした時、
「向いていない」「合わない」と言い、逃げずに、
思い(理念)からコンセプトや戦略等を生み出して、
21歳で年収1千万円以上を雇われでいきました。

たかが年収1千万円以上と思う人もいるかもしれませんが、

「僕にとっては奇跡です」

奇跡的な快挙だと言えます。


それで、自慢したいわけじゃないです。


「思い(理念)の大切さを伝えたい」

そして「持っていただきたい」のです。



人生に迷った時、僕の20歳までの人生が参考になれば嬉しいです。

主に20歳までの僕の人生を下記にまとめています。

単に僕の人生の体験を伝えるというものではなくて、
そこからの教訓、気づきや発見を書いています。

https://ameblo.jp/atokau/entry-12733918192.html


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ほとんどの方にとりえなんてないと思うのです。

「顔がよかったり」
「スポーツができたり」
「物心ついた時から、魚や虫が好きで、
ものすごく知識がついて、それでやっていける」とか、

「頭がよかったりね」


ようはそれらをひっくるめて、
「とりえがある」とします。


とりえがある人なんてごく一部です。

「ない人の方がほとんどです」


ある人は余裕たらたらに、
「誰でもとりえがある」
みたいに言ったりもします。


「じゃあそれを証明してくれ」って思いません?


無理くり「ある」をつくりだすより、
「ない」で僕はいいと思います。



「僕はないですよ」


「僕は小学生の時に、自分のとりえを探しまくったのです」


結論「ない」でした。



大人になってから、
「自分のとりえをひたすら探しまくる人もいます」


「きっととりえがあり、成功している人々をみて、

 よだれがでて、「いいなあ、羨ましいなあ」と思い、

 「あなたもある、できる」みたいに言われ、思い、

 自分のとりえをひたすら探しまくるのです」




こたえは「ない」ですよ。



「とりえがある人はいいかもしれませんが、

 とりえがない人はどうしますか?」




「能力、才能主義、とりえ世界」があったりするのです。


別名、弱肉強食です。


強い人はいいけれど、
「弱い人は、のたうちまわる世界です」




僕らは自分が良いと思う、正しい道を歩みなさいなんて教えられないです。



じゃああとは「とりえ、能力、才能主義、世界で生きるしかないのです」


その中で生きているから、
必死で、何か才能やとりえを探すのです。


「絶望を何度も経験しながら」



「とりえ、能力、才能主義、世界」で生きていると、

それらがないと、

「なんのために生きているのかわからなくなります」


「死にたくなったりするのです」


それは「生きている意味がよくわからない」のです。

わからないから、ふとした時に「死にたくなる」のです。

そのふたときが、一瞬の場合もあるし、
それが腹痛みたいなもので、急に痛くなったり、
でも「おさまったする」のです。


出てはひっこみ、出てもひっこみね。



そういう「種」があるのです。

「潜伏したりする」のです。



でもそれがある時、発動したりするのです。

「自殺」です。




とりえ(能力や才能)があるならいいですが、

とりえもないのに、

親から「自由にしなさい」「あなたの好きにしなさい」

と素敵な親なのですが、そんなこと言われたら、

「逆に辛いです」




「とりえがあるならいいですよ」


「とりえがなければどうします?」



とりえもないのに、「生きる楽しさ」はどうやったら得られますか?

何がありますか?



「どうやったら楽しく生きていけますか?」




人の幸せは、

「他者貢献」と「自分自身の限界突破(成長)」

にあると、みんな知っているのでしょうか?



「そこに本当に喜びがあると知っているのでしょうか?」



それを疑う人もいるのです。

でも実際、何かたとえば、
お年寄りがいて、席を譲った。で、喜んでもらえたとします。


「じゃあ嬉しくないってことですか?」



たとえば、子供が過労死で死んだとか、
子供が、有名になったんだけど、炎上して、
人からボロカスに言われて、病んで、自殺とかね。

こういう「事件」にあった時に、
親はたたかったりすることがあります。

その時にみんな言うのが、
「こういう目に遭わない人を無くす為」
であったりします。


もちろんそういう人の為だけじゃないです。

復讐するという気持ちもあるでしょう。

だけど「それだけでやっていたらしんどいのです」


他者貢献という気持ちもあるから、
「自分の気持ちも癒される」というか、

「そこに意味を感じたりもするのです」




他者貢献には「自分の癒し」や「意味を感じさせるもの」があるのです。



それで本来1番いいのが、

何も起きていないのに、

「こういう目に遭わない人を無くす為」

で動けたらいいです。



火の粉が自分にとんできた時だけ動くじゃなくてね。



火の粉が自分にとんできた時だけ動かれても、

「言うことはお前立派だけど、他者貢献だけど、

 ただの復讐じゃねえか」と疑ってしまうのです。

「ようは嘘をついている」と。


その見極めができないのです。



「私は自分の為だけに生きてきた。

 これからの人生、一生、他者貢献に生きる」

ぐらい言ってくれたらいいんですけどね。




「火の粉が自分にとんできてもないのに、

 自分ごとにでき、動ける人ばかりだったら、

 優しい世の中だなって思いません?」






「他者貢献」と「自分自身の限界突破(成長)」

に幸せがあったりするのです。

それは実際みんな感じていたりするのです。



だから何かできたりしたら、「嬉しくないですか?」

そこに「成長があるからです」


なにげないものですけどね。




「誰しもなにかとりえがある。1つはある」

みたいに言ったら、「みんな探してしまうじゃないですか」


でも「ない」と思えば、探さないことないですか?


だって「ない」のですから。


「ある」と思うから、探すんですよね?


「考えるんですよね?」


「ない」と思えば、考えないじゃないですか。





「能力、才能主義、とりえ世界」で生きていて、

「能力、才能、とりえがない私」って、結構辛いです。

地獄です。苦しいです。それこそなんの為に生きているのかわからない。


こういう時、

「能力、才能、とりえがない私」

を呪ったりします。



でもそれは呪うところを間違えています。


呪うなら、
「能力、才能主義、とりえ世界」
を呪えばいい。



つまり「そこから出ればいいのです」


だから、「解脱」と言ったりするのです。

「解脱」は、仏教用語です。


解脱の意味を辞書で調べると、

「 本能に基づく迷いに心を縛られている状態(煩悩(ぼんのう))から脱して
 自由になること。

  涅槃(ねはん)と同一視され仏教実践道の究極の境地とされる。」

と書かれています。



解脱した状態は、
たとえば、

「能力、才能、とりえとかどうでもいいなあ」

と思ってしまうとかね。



僕はそうです。

「自分が良いと思う、正しいと思う道を歩むだけです」




悩み苦しみの根本は、

「能力、才能主義、とりえ世界にいるから」

ってあるのです。



解決の方法は「その中で勝つ」もあるでしょうが、

残念ながら、能力、才能、とりえがすごい人はすごいですよ。


「勝てる人はいいですよ」



じゃあ勝てない人はどうするか。


それは「解脱」です。



自分の住んでいる世界があって、その中から抜け出すことは可能です。


自分の住んでいる世界があって、
その中では、そもそも幸せになることが難しい、
中には「不可能」ってことがあるのです。

「一生こたえが出ない」というかね。




自分の住んでいる世界があって、その中から抜け出すことは可能です。

そして、別の世界にシフトすることも可能です。


これは良いものから、「変なもの」にシフトもあります。

たとえば「グレてやる」と思えば、「不良の世界」にいくとかね。



「世界をシフトさせることが必要です」



シフトしたい先は、自分で選べます。


その中の1つがたとえば、

「自分が良いと思う、正しいと思う道を歩む世界」

でもあったりするのです。


別にそれが唯一無二のもの、1番正しいものと言いたいわけでもないです。



そういう世界があるとは伝えたいです。

その選択肢が人生にはあると伝えたいのです。

「やる、やらないは本人の自由な選択です」




もし僕に

「能力、才能、とりえがあれば」
その世界にはシフトしなかった可能性があります。


「自分が良いと思う、正しいと思う道を歩まないです」



「能力、才能、とりえを活かして、
 成功人生を満喫しているかもしれません」


「人のことなんてどうでもいいと思っているかもしれません。

 まあちょっと自分と自分の周りだけとかね」



だから僕は、

「能力、才能、とりえがないところに感謝していたりします」


「よくぞ、能力、才能、とりえがない自分で生まれてきた」と。



「自分の人生は自分で決めて生まれてきたと言われても、
 別に納得します」




「能力、才能、とりえがある人生も楽しそうだし、
 それはそれでいいのですが、

 なくても楽しいから、どっちでもいいみたいな感じですよ」



それで世界っていうのは色々あると思うのですが、
それを10段階に分けたものが仏教にはあります。

「10界」です。


下から順番に、
「地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・・菩薩界・仏界」
とあります。


地獄界は、
「生きていること自体が苦しい、
 何を見ても不幸に感じるし、世界がモノクロにみえます」


それでその人は世の中の方に問題があると思っていたりするのですが、
そうではなくて「お前の世界がそう」ってやつです。



問題は「世界」なのです。

餓鬼界は、「欲望が満たされずに苦しいって世界です」


病気の人に多いのが、
「地獄界・餓鬼界」でしょう。


で、畜生界・修羅界までがしんどいです。

この世界はちょっと元気な人が多いのですが、
ただ競ってばかりや競争ばかりでしんどいのです。


それを超えて、
「人界」の世界が、やっと心の平穏なのです。


ただ悪縁が多い世界なので、
「その世界を維持し続けるのが大変なのです」


でも最低ここまではいきたいです。


「少なくとも、自分ルンルンって生きていけます」


で、ここで終わる人も多いです。



それでどんどんあがっていって、
菩薩界ぐらいまでいくと
「人を救う、守っていく」みたいな、
人の為などが生まれます。



たとえば、じゃあれいわ新撰組の山本太郎さんとか、
あとは参政党のゴレンジャーとかは、「最低ここにいます」


普通は山本太郎さんみたいに、
俳優20年やっていて、年収も3千万も5千万円もあるのに、
それを捨てて、

ようは「やりたいことをやり金を稼いでいた」のに、

「やりたくないことを、しかも給料下げてまで政治家になったりしています」


まるで意味不明な世界です。


そんなことやる人は他にいないでしょ?


「ここまでやる人はアホと言ってもいいでしょう」


稀です。

普通はやりません。


すごく愛があって人を思う人でも「そこまでやりません」

一線があって、
「自分の生存をおびやかさない範囲で人の為はある」
のですが、

一線は踏み越えません。


一銭を超えない範囲で「人助け」「他者貢献」はしたりしますが、

その範囲は超えないです。



でもその範囲を超えないと、

「弱い人を助けれない」

「弱者を守れない」ってところがあるのです。



その壁は非常に高いと思うのですが、
それを超えていくのが、きっと「菩薩」でしょうね。




成功するよりも、圧倒的に難しいのは、

「人を幸せにする」です。



「人を幸せにする」ことに比べたら、
多分、成功は楽勝みたいな感じだと思います。


たとえばセブンイレブンを立ち上げた、
カリスマ経営者と言われた鈴木敏文さんとか、

コンビニ業界の育ての親とか言われていますが、

「僕は別に人を幸せにしているとは思えないです」


むしろ「人を不幸にしていると思います」


それは食事とかに詳しい人とかならわかるのじゃないでしょうか?


「すごいなあ」とは思いますよ。


でも別に尊敬はしないです。


それなら人の体を思い、一生懸命野菜などを育てている
農家さんを「尊敬します」



成功は別に時代の流れをよめたりとか、
そういう「頭の賢さ」と、
なんていうか総合的な力を「腕力」と呼ぶとします。

「頭の賢さ」は、運や、賢い人を頼るで補えたりします。

「腕力」は、自分にその腕力がなくても、
腕力がある人を味方につけていく人望とかそういうのがあれば
それでも補えるでしょう。



たとえるなら、「戦争に勝つ」のと、

「平和にする」のとの違いです。


「世の中を平和にする」のと、
「戦争で勝ち続ける」のとどちらが難しいでしょうか?




「成功するよりも、人を幸せにするのが難しいです」


「さらなる厳しい冒険です」




だから、成功するのは得意でも、
人を幸せにするのが下手くそってありますからね。



「すごく頭がいい、とりえがある、能力や才能もある」

そういう人って意外とたくさんいると思います。

「成功者はたくさんいます」


でもそれと「人を幸せにできる」は別の能力ですから。




むしろ、

「すごく頭がいい、とりえがある、能力や才能もある」

それを使って、人を不幸にしている人もいますから。




それで僕は菩薩レベルのことを言いたいわけじゃないのです。

きっと「人界レベル」です。


「自分が良いと思う、正しい道を歩みなさい」というはね。



それで「地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界」というのは、
あくまで総称しているだけというか、

「あるのは、1人1人住んでいる世界がある」ってだけです。


そこに名称をつけるとしたら、

「多分それは地獄界です」

「あっ、それは畜生界ですね」と言えたりするだけです。



苦しいなら、抜け出すだけです。

「解脱」です。


それで基本的に人間はどの世界も経験するはずです。

「地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界」とかね。


僕はどの世界も味わったという体験があります。


ずっとその中で生きている人がいる、

抜け出していく人がいる、そんな感じなだけだと思います。



ちなみに僕の人生の始まりは、「地獄界」です。


それで中には一生それって人もいると思います。


「それで多分20年、30年もやっていると、
 しんどいので、自殺したりすると思うのです」

それは迷惑がかかるという人が、
「ストレスが溜まり、病気になってとかね」





それでこの「世界」というのは、

基本「同じ世界同士の人とつながるはずです」

違う世界の人って、「合わない」ので。


どちらか、及び両方がしんどいのかなと思います。


一緒にいれば最終「同じ世界にいくと思います」


相手の世界に自分いくか、相手が自分の世界にくるか、です。


最終的には「同じ世界になるはずです」



本来はいい世界にいる人に、
そうじゃない人が合わせていけばいいんですけどね。


いい世界にいる人が、
相手の世界に合わせていくのは良くないと思います。

「お互いが不幸になるというかね」




どうしても世界は狭くなるのです。

「だって同じ世界の人としかつながれないからです」


上をみれば「怪しく感じる」し、

下を見れば「ゲロ吐きそうになる、近寄りたくない」とかね。




人は「自分のいる世界の中で幸せになろうとしていたりします」


でもなかなかそれでは幸せになれなかったりします。


そうでなくて「世界の解脱」です。


住む世界を変えるのです。



その1つの僕が確かだと思うのが

「自分が良いと思う、正しいと思う道を歩む世界」

です。
















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┃\/┃ 「誰かにとっての希望の光になろう!」
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記事一覧

僕が来年メインでお伝えするのは、「人を理想世界へと導く」になると思います。

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2022年12月31日

「5年、10年、一生涯、仕事に困らないものは何でしょうか?」

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コンサルの内容「思いをしっかりと育てる」

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2022年12月17日

来年「貢献しあえる仲間づくり」に取り組んでいただけたらなと思います。

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2022年12月04日

僕をきっかけにぜひ「つながりのパワー」を活用して頂けたらなと思います。

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2022年09月14日

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