なんのために生きるのか
今日は私の
高校時代の話を書こうと思うんだけど
もちろんただの思い出話じゃない。
なんなら
「人生これがすべてじゃない?」ってくらいの
私にとっては根源的な話なので
まずは最後まで読んでみてほしい。
高校3年間
私は「音楽部」に所属していた。
カンタンにいうと合唱部。
入部した時にはすでに
70名くらいの部員がいて
「ずいぶん活発なんだな」って
自分の中の「合唱部」のイメージとの違いに
驚いたのを覚えてる。
もともと音楽は好きだったけど
合唱の異常な気持ちよさを知ったのは
中学の時の音楽の先生のおかげ。
その先生も
この高校の音楽部のOBだと知ったのは
もう少し後のことだけど。
そんな音楽部1年目
なんと私たちの音楽部が
全国大会に初出場した。
たまたま入った音楽部で
たまたま自分たちが入った年に
たまたま全国初出場なんてさ。
自分の人生にまさか
「全国大会」なんて出来事が起こるとも思わず
なにがどうなってるのかよくわからなかったけど
とにかく
初めて出たはずの全国大会で
初入賞を果たした私たち音楽部は
一気に全国の注目校となった。
そして音楽部2年目。
「全国大会」に
「初出場」して
「入賞」までした翌年度。
「今年も全国に行くぞ!」とか
「今年は去年以上の結果をとるぞ!」とか
そんな空気になってもおかしくないところ
私たちは誰一人「全国」を目指すことなく
「結果を残すため」の練習も
誰一人としてしなかった。
それは顧問の教えの賜物で。
「結果は後からついてくる」
そう日頃から言っていた顧問は
「全国に出場するため」の練習ではなく
「今この瞬間の喜びのため」の音楽を
いつも指揮してくれていた。
だからもはや
「練習」でもないんだよね。
やってることは練習なんだけど
「本番」を目指してやってるわけじゃないから
練習と本番の違いが特にない。
もちろん
音とりを始めたばかりの段階と
本番直前の段階とでは
「音楽の完成度」は
天と地ほどの差があるけれど
「本番」や「完成」に
照準を合わせてないというか。
たとえまだ
音とりを始めたばかりの段階だとしても
まだ音とりをしたのが
たった2フレーズだったとしても
その2フレーズを
今、自分たちにできる
最高の音楽にすることが
常に私たちのすべて。
だからいつも感動してた。
たった2フレーズでも
音とりをして
「やばい!この曲いい!」
って感動して。
それを全パートで合わせた後に
全員が歓声をあげるくらい
本当に全員で震えながら歌ってた。
今でも思い出すだけで
泣けるくらい鮮明なそのシーン。
そのたった2フレーズ
ソプラノからバスまで
全員で呼吸を合わせて。
顧問が指揮を終えた後
少しの静寂の後に
全部員から湧き起こる
学校中に聞こえそうな歓喜の声。
それを見ながら微笑む顧問の横顔。
本番じゃないよ?
なにかの発表の場でもなく。
日々の部活の
ワンシーンワンシーンを
こんな震えと感動の中で
私たちは過ごしていた。
いつだって
今この瞬間の自分たちのために
今の自分たちにできる最高の音楽をつくること。
それが私たちのすべて。
だから
私が3年になった頃は
部員は90名を超えていたけれど
私が入部してから引退するまでの間
「誰より誰の方がうまい」とか
「私の方が」とか
そういう比較競争が一度も起こらない
奇跡の集団だった。
誰か一人が褒められることもある。
誰か一人にスポットが当たることもある。
でも嫉妬なんて起きなかった。
だって誰かが素晴らしいということは
「私たちの音楽」にとって
喜びでしかなかったから。
誰も出ない高音を
出せる「一人」のおかげで
そのフレーズが完成する。
「一人」の安定した美声のおかげで
ソロパートを任せられるんだ。
そうやって
「自分が目立つため」でなく
「自分たちの音楽のため」に
私たち一人ひとりが今この瞬間
自分にできる最高のパフォーマンスをする。
「調和」のためのベストパフォーマンス。
全体の中の一つの細胞として
自分にできるベストを尽くしていた。
自分「が」認められたいとか
自分「が」注目を浴びたいとか
そんな風に思ったこともないし
そんな思考すら浮かんだことがない。
みんなでつくったものに
みんなで感動して
内側は歓喜で震えていて。
それで「以上マル」で。
だからほかの高校を
ライバル視したこともなければ
他校を意識して
練習したこともない。
それを審査員がどう評価して
どんな結果になるかということですら
「後からついてくるおまけ」でしかなかったんだ。
だから
「本番」も「練習」もない。
本番だろうが練習だろうが
やることは常に同じだし
泣いたのも結果発表の時じゃなかった。
本番のステージ後
今日の自分たちの最高の音楽に涙して
そこに後からついてきたおまけが
「全国3位」という結果だっただけ。
(2,3年時)
なにかのためではない。
今この瞬間のために
今この瞬間を歌う。
その体感で
音楽部だけでなく
私は日々を生きていたいと思うし
主語が「私」から「私たち」になった時
そこには比較競争など
起こりえないことも知った。
みんなで「ひとつ」をつくる。
みんなで輝く。
みんなで勝利する———
それは、何かや誰かに勝つことではなく
みんなで心から歓喜するということ。
「勝利」って、戦いに勝つことや
相手を負かすことのように思っていたけれど
もともとは
「仏様からの『勝』れた『利』益」
っていう意味なんだよ。
比べる必要のない世界との出会いによって
心の底から満足できること。
それを音楽部を通して
体感したことがあるというのが
私にはギフトだしラッキーだし
本当にありがたいことで。
ただそれが音楽部だけでなく
人生でも体感できるんだと気づいた以上
私はもう、そうして生きていきたい。
夢や目標や未来のための今でなく
今の喜びのために
今を謳歌していきたいと思うよ。
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