【上高地でわかったシンプルなこと】No.51
標高1,500m
中部山岳国立公園、上高地の
河童橋前から発信しています。
昨日もお伝えした通り、怒涛の
一年を過ごしたふたりは自分た
ちへのご褒美という名目で、
この地を旅先に選びました。
光伸は、
中学時代はソフトテニス部、
高校時代はサッカー部
大学時代ワンダーフォーゲル部※
今も週一回は、早朝テニスを楽しみ
所属する川柳サークルでの
ペンネームは”万年青年”と年齢に
縛られない心身の若さが取り柄。
※ワンゲルとは日本語で「渡り鳥」
全国を遍歴し、自然に親しみ、
広い知識を得ると共に、グループ
活動を通じて協同精神を養い、
健全な身体を培うことを目的と
する活動
惠美は、
4歳から、弱視視力矯正のため、
水泳は目に悪いと全面禁止。
ソフトボールなどの球技も禁止。
やり方を知らない、成績が悪い、
人生の辞書には「運動」の二文字
が消えている。
そんなふたりが上高地でとった
行動は、年齢的にはちょっと頑張り
過ぎてしまいました。
いいえ、ちょっとどころか
普段、運動習慣のない妻にとっては
地獄のような修行になってしまい
ました。
松本のホテルを朝4時に起き
バスに乗り、
夕方16時半までの活動は妻にとって
は過酷な1日になってしまいました。
午前中 9時から11時過ぎまで
上高地ビジターセンターから大正池
までのツアーに参加
片道 約3㎞強(帰りはバス利用)
午後 13時から16時30分まで
上高地五千尺ホテルから明神池まで
別のツアーに参加し、ホテルまで戻る
往復 約7㎞ の行程
合計10㎞以上
延々5時間30分以上
歩かせてしまいました。
10月6日は上高地ビジターセンター
が今の建物が建てられ20年の記念日。
ツアーを開始する前に簡単な記念式典
があり、特別感が満載でした。
ガイドもセンターの方ではなく地元に
お住まいの78歳になられる方が
ボランティアで上高地の自然や歴史
について、丁寧に解説して頂きました。
天気は最高の秋晴れ!
しかし、まったく履いたことのない
軽登山靴を履いて参加した恵美は、
大正池に着くころには既にへとへとの
状態でした。
こんな状態では、午後のツアーは
キャンセルした方がいいんじゃないの
かという思いが沸いてきました。
兎に角、「腹が減っては戦ができぬ」
ということで、大正池ホテルのレスト
ランに駆け込みました。
窓からは大正池と雄大な焼岳が目に
飛び込んいます。
しかし、疲れと足の痛み、そして
午後のツアーに参加するのかキャンセル
するのか、我々は気もそぞろな状態。
このため景色もハヤシライスも味わう
余裕もなく、胃に流し込みました。
そして、申し込み先のガイドツアーに
午後の参加時間に間に合わないかもしれ
ないと電話しました。
ところが、
”キャンセルしたい”という気持ちとは
裏腹に、
こういうときに限って
ベストなタイミングで上高地行きの
バスが来るんです。
妻は心の中で
(このバスに乗ったら、午後のツアーに
間に合ってしまうよね。私どうしよう?)
って呟いていたかも知れません。
でも神様のお導きなので、そのバスに
飛び乗る羽目になってしまいました(笑)
午後のツアーに申し込んだのは我々
二人だけでした。
河童橋のたもとまで来ると、
妻は、どこにそんな元気があるのかと
思うぐらいのスピードでソフトクリーム
売り場にダッシュしていました。
”ソフトクリーム”を食べて、気持ちを
鼓舞する作戦でしょう。
自分さえ我慢すれば、
”夫やツアーのスタッフに迷惑をかけ
ずに済む”という一心から出た本能の
ままの行動だったんだと思います。
そして、意を決して、今度は梓川の
上流にある”明神池ツアー”に出発して
しました。
妻の足の痛みは、出発直後から相当な
辛さでした。
根っからの負けず嫌いの妻は、
痛みを顔に出さず、ガイドの「もも」さん
の説明に耳を傾けていました。
痛みを我慢して我慢して漸く
明神池に到着したのは15時を過ぎて
いました。
穂高岳の前衛にそそり立つ明神岳。
その真下に位置する明神池は本当に
美しい神秘的な池でした。
「もも」さんと別れて、帰りは我々
ふたりだけです。
今度はバスはなく歩くしか方法はあり
ません。
妻の足の痛みは、顔の表情から限界
だと訴えています。
そんな妻を目の当たりにした私は、
宿泊施設の明神館に頼み込んで、車で
上高地まで送ってもらおうと提案しま
したが、妻から返ってきた答えは、
”頑張って歩くしかないじゃん”という
ものでした。
そして、
一歩一歩、一歩一歩、足を交互に運び
続け、上高地まで約50分間の苦行に
耐えてくれました。
そんな妻に”山”がご褒美を授けてくれ
ました。
河童橋まで戻ると一瞬だけ、
奥穂高岳
前穂高岳
そして、その二つの山にかかる
吊り橋のように見える
吊り尾根
が岳沢の上に聳え立って見えた
のです。
ずっと雲に覆い隠された雄姿です。
この光景は、生前、父が上高地を
訪れ、墨絵で描いた風景です。
妻は、その墨絵が好きで数年前に
父から譲り受けた光景です。
気が付くと私はとっさに河童橋に
登っていました。
facebookのライブ配信をせざるを
得ない衝動にかられてのことでした。
「上高地でわかったシンプルなこと」
それは、次の2つです。
1 無理は禁物
2 願いは叶う
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