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【シルクで結ばれたご縁のありがたさ】No.213

2022年03月17日



今日は、素敵なご縁が繋がりました。

とっても嬉しいです。

私ごとで恐縮ですが、あまりの嬉しさ
なので、披露させてください。

この話は拙著『笑顔を終活』にも書い
ていますが、亡父は生まれながらに
自分の父親のことを知りません。

ですから当然ながら私も父方の祖父の
存在を知りません。

そんな私の祖父ですが、かろうじて、
写真がたった一枚だけ残っています。

祖母が若くして失った夫、歌之助さん
の貴重な写真を大切に保管していた
ことは、想像に難くありません。

実家の仏間に飾られているその写真の
祖父は、腰にサーベルを差し、軍服を
着て凛々しく私を見据えています。

いつ撮影した写真かは定かではあり
ませんが、大正3(1914)年に
始まった第一次世界大戦に出兵した際
の写真ではないかと推察します。

もうひとつ祖父の存在を確かめる
方法として、生前父が遠方の市役所
から取り寄せた戸籍謄本があります。

戸籍謄本に、祖父の名前は中島歌之助
と記されています。

父の生まれは昭和3年11月16日、
その前の月、昭和3年10月に祖父
歌之助さんは病死しています。

歌之助は、養蚕教師(ようさんきょうし)
という仕事をしてたようです。

出身は兵庫県養父市(やぶし)です。
養父市には今でも「かいこの里交流施設」
という場所があります。

(参考)”養蚕のふるさと”
https://www.city.yabu.hyogo.jp/material/files/group/37/13937828.pdf

歌之助さんは、兵庫県養父市から愛知県
まで蚕の飼育のノウハウを教えに来て、
ご縁あって祖母と結婚したのです。

蚕(かいこ)という虫は、桑の葉っぱを
食べて育ちます。

そして口から生糸(きいと)を吐いて、
繭(まゆ)を作ります。
カイコを育て、繭から絹糸の作り方を
教える仕事が、養蚕教師です。

生糸といえば、祖父の生まれた場所とは
全然違いますが、
2014年にユネスコの世界文化遺産
に登録された日本初の大規模な
洋式器械製糸工場である官営富岡製糸場
が有名です。


父は祖父歌之助の故郷を死ぬまでに
一度だけは訪れたいと言っていました。

私はその父の願いを叶えるため、
2019年5月に私の長男と父の3人で、
養父市を訪れました。

そして、養父市にある長福寺
(ちょうふくじ)というお寺の
ご住職に祖父の墓を案内してい
ただくことができました。

山道を登って行くと先祖代々の
お墓があり、そこにはきれいな
お花が供えられいました。

ご住職に聞くと、我々が墓参りに
来ることを知った祖父の親族の方
が前日にお墓を掃除され、お花を
お供えされたとのことです。

その方のお住まいは、大阪府
寝屋川市ということでした。

寝屋川市から兵庫県養父市までは、
高速道路を使っても3時間はかかり
ます。

この距離を我々のために来られた
ことを知った父は感無量となり、
その場で、ご住職に電話をかけて
いただきました。

我々は、養父市から愛知県に戻る
途中で寝屋川市に立ち寄り、父の
唯一の親戚にお会いすることができ
たのでした。

それから3年の月日が経ちました。

先週、その方から、父の一周忌に
どうしても墓参りがしたいと
ご連絡をいただいたのでした。


ずいぶん前置きが長くなりました。

冒頭のあまりにも嬉しく素敵なご縁
が広がったことについてご紹介し
ます。

昨日、私の又従妹の方が、ご主人と
息子さんと3人で来られたのです。

短い滞在時間ではありましたが、
私と私の妻と、まるで昔からの親戚
のような感じで和気あいあいと、
時には笑いながら楽しくお話しする
ことができたのです。

拙著「笑顔の終活」と
その別冊、父の墨絵の作品集
「一筆に魂を込めて」の
ペーパーバック版を見ていただく
ことができました。

父が墨絵を描いていることを知った
私の又従妹は驚かれていました。

その方も高校時代の3年間、墨絵を
習われていたというのです。

この時、私は、電子出版という仕事
に出会えたのは、この日のための
必然なのかも知れないとさえ感じた
のです。

春の光を受けて艶やかに輝く
シルクのような出会いに心から
感謝しています。

因みに3月17日は、
祖父歌之助さんの誕生日です。

ちょうど130年前の今日、
明治25(1892)年3月17日
に祖父歌之助が生まれたからこそ
私という人間が存在します。

昨日は歌之助さんの兄、利市さん
のお孫さんとそのご家族と我々夫婦
5人が一台の車に乗り、満開の「葵桜」
を楽しむことができたのでした。

岡崎の葵桜はこちら
 ↓↓
https://okazaki-kanko.jp/point/2968

一気に春爛漫となりましたね。

ではでは


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